東京で(フルタイムで)働きながら生涯年収1億円もいかないのは奴隷と同じである

生涯給料「東京都ワースト500社」ランキング

2億円未満は407社、超都心に本社置く企業も

http://toyokeizai.net/articles/-/171034

既にコメント欄で指摘があるように、「零細企業は2億どころか1億いかないようなところが沢山ある」とのこと。まあ、墨田区大田区の町工場で働く人なんて実質的に最低賃金以下で働いているだろう。

理由は言うまでもなく「途上国で作れるものをわざわざ東京で作るから」である。

仮に日本で年収200万でもインドネシアで生活すれば年収600万くらいの生活が送れるだろう。

従って、アベノミクスを成功させる最大の抵抗勢力である「残りカス企業」を淘汰することが必要不可欠なのだ。

ていうか、町工場って、民主党政権の時の円高の時は「工場が海外に移転して海外に仕事を取られて苦しい」と言いながら、いざ円安になれば「原材料費が高くなって苦しい」とかふざけたことを言いまくっていた。いやいや、町工場が儲からないのは政治と関係ないだろ(笑)とテレビを見ていていつも思っていた。

折角、若者の数が減り、労働者の数が減りそうな感じなのだから今までのように無理矢理残りカス企業を温存し、無理矢理雇用を増やす必要が無くなりつつある。だったら、残りカス企業を潰し、労働者にとってコスパの高い産業へ移れるように働きかけるのが政府の仕事だろう。(かつての小渕政権から小泉政権でもこれに近いことをやろうとしたが、当時は団塊の世代が企業の中枢にいて、かつ、若者の数も多かったから深刻な就職氷河期が起きてしまった。もちろん、女性が結婚して仕事を辞めるということをしなくなりつつあったのも大きい。)

こういったランキングは逐次公開してほしいが、できれば「上場企業以外」のも公開できるようにしていただきたい。もちろん東洋経済のような民間企業にそれは無理だが、実は「市区町村」ならば「給与支払報告書」を各企業から受け取っているはずなので零細企業だろうと実態は分かっているはずなのだ。

もちろん現時点でそれを公務員にやらせたら莫大な手間が増える。(公開するのは怪しからんという残りカス企業は締め上げるべきだ。)従って、もっとマシなシステムを導入させる必要がある。(L−TAXは本当に使えない。NTTデータ富士通みたいなところに莫大な税金を投入してあんな使えないものを作らせたのだからNTTデータ富士通辺りは受注禁止させるべきなのである。)

どの企業に入ればどのくらいの年収になり、将来どのような生活が送れるかということをもっと明確にすべきである。この当たり前のことが今の日本では全く行われていない。だが、絶対にそれは必要なのだ。

(週40時間労働)

年収200万未満→経済的自立は不可能。両親と同居必須。

年収200万〜300万未満→経済的自立は可能だが、カツカツの生活になる。娯楽は殆ど不可。

年収300万〜400万未満→ある程度の娯楽は可能。但し、23区内で自動車を保有するとかなりきつい。

年収400万〜500万未満→結婚し、奥さんを専業主婦にすることができる最低ライン。その場合、外食等は極力控える必要がある。

年収500万〜600万未満→奥さんが専業主婦で、子供2人が公立小学校の児童ならば生活は厳しくは無い。但し、住宅ローンを抱えたり、子供に高い習い事をさせると厳しくなる。

年収600万〜700万未満→奥さんが専業主婦で、子供2人が私立中学、高校へ通わせられる最低ライン。恐らくこの辺りが「結婚生活を具体的にイメージできる年収」なのだろう。

以下省略

こういったことを就職前の学生にきちんと教えておき、「この会社に入るとこのくらいの年収になり、このくらいの生活が可能である」ということを示すべきである。(もちろん、その通りにならない可能性があることもきちんと教えておく必要がある。)

零細企業に入るということは、結婚どころか、一生親と同居ということも視野に入れて覚悟しなければいけない。(今までならば、親の介護や家を継ぐといったことが理由だっただろうけど。)

残念ながら今の日本は「全ての人が最低限経済的自立ができる国」ではなくなった。「仕事はカネではない」等と綺麗事は通用しない現実をきちんと伝えなければいけない。

あと、経営側も「フルタイム働かせているのに、親と同居しないと生活できないほどの給料」しか払えないことを恥ずかしく思うべきである。最近の経営者に「うちで働く限りはせいぜい一国一城の主になるくらいの給与は払わないといけない。」といった感覚が全くと言って良いほど希薄になっている。もし、自分が雇用する従業員が「こんなに少ない給料じゃあアパートすら借りられない」と言っているとしたら、それは自分の身銭を切るか、即廃業すべきくらいの段階に来ていると考えるべきなのである。